ぼくがゲーマーになるまでの軌跡と親父のお話

5億年ぶりにブログを書いている気がします

今回は題のとおりぼくが今まで歩いてきた道の隣にはゲームがあるまでの道のりについてお話します

ぼくがゲームの存在を知ったきっかけは全て親父の影響です

ぼくが小学生のころの親父はパソコンでいつもネトゲばかりやっていました

そのときはまだパソコンでオンラインゲームが世に出回り始めたばかりで、当時はメイプルストーリー通称メイポがはやっていて仕事から帰った親父はパソコンの前に座ってキーボードをかたかたしながらゲームをしている姿を眺めていました

そのころからMMOというジャンルに惹かれていたのかもしれません

親父がやっているネトゲについて話してもらったことがあって、オンラインという場でやるネトゲというのは人と人が繋がるものだと思い始めました

さいころから運動が苦手で根っからのインドア派だったぼくは親父の持っていたPS2PSPを家で遊んでいて、そのときに出会ったFF8ドラクエ8ペルソナ4、DDSAT、女神転生など親父の持っていたPRGのゲームをやっていました

ただこれはオフゲーであって一人で楽しむのも好きでしたが、パソコンでやるネトゲというジャンルで複数人で同じゲームをやってみたいという欲求がそのときにはありました

そんな親父はたまにぼくを膝の上にのせてネトゲをやらせてくれました

普段オフゲーのRPGばかりやっていたぼくには見慣れない、情報量の多い画面の端に映るチャット欄には親父のゲーム仲間がそこにはいました

顔も名前も知らない相手だけれど、そんな人同士だから気が合い、言い合えることがあるのだと知りました

そんな居場所を持っている親父に小さかったぼくは憧れていたのです

中学生にあがったぼくは親父のパソコンを古いから、ともらいました

念願のパソコンを手にしたぼくは好奇心満載でただただひたすらにネットという世界の網を見ていました

そのときは本当にキーボードをさわるのが楽しくって、自分で操作したマウスのカーソルがモニターに連動して動いているのが不思議で、このころから頭の中はパソコンという存在でいっぱいでした

親父が持っていたパソコンをぼくが受け継いだあたりから親父はネトゲをしなくなりました

なぜ以前のようにゲームしなくなったのか問うたら親父は、年だからゲームをしていると疲れるんだと言っていました

当時ぼくが憧れていた親父は変わってしまいました

そんなぼくは親父がやっていたように、自分で自分の居場所を作ってやる、と心で思い始めました

しかし時代は流れ、親父やっていたネトゲは過疎っていて、なんのゲームをしようかと迷っていたら、無料のFPSというジャンルに出会います

FPSというのは対人がメインで、対戦相手がいることで初めてゲームがプレイできるというものでした

チャットという技能を覚えたぼくはゲームという場所でのコミュニティを知ることになります

始めたばかりで操作もおぼつかないぼくに声をかけてくれてクランに拾ってくれた人がいました

その人は当時のぼくよりかなり年上でいろんなことを教えてくれました

ゲームの話、他愛ない話、別ゲーを教えてくれたり、そのころクソガキだったぼくが調子にのって怒らせて喧嘩したこともありました

その人の影響はとても大きく、ぼくがやるゲームは対人がメインのものになっていきました

相手も中身は人間で、同じ仲間たちと協力して勝利するというのが楽しくてクセになっていました

ただネットという境界線を阻んでいる以上、人付き合いというのも限界があり、長くは続かないものが多かった気がします

そしていろんなネトゲをてんてんとしながらいろんな人と出会いがあって、別れがあって、また新しい出会いがありました

同じ考えを持っている人は必ずとしておらず、いろんな人と話し、笑い、意見し合い、ときには悲しいこともありました

今まで出会った一人一人がいまのぼくを作っていると思うのです

これほどまでに人と人が繋がるものはこの世に存在しないと自負しています

これまでに出会い、別れた人たちはそれぞれの道を歩き、大きな木の幹のように、無限に広がり、花を咲かしているのだろうと思うのです

そしてふと今まで辿ってきた道のりを振り返ると顔も名前も知らないけれど同じゲームをプレイした仲間の人たちの、たくさんの見えない手が確かにぼくの背中を押している気がするのです

そうしてパソコンの前に座って、電源をつけて、ゲームの中のぼくは今日も前に進むのです

 

 

 

 

 

あとがき

ここまで読んでくれてありがとう!

趣味がゲームだと言いづらいこの世の中でどんなにゲームという存在が忌むべきものにされようとも、いつだってこの右手にはコントローラーを握っていることでしょう

そんな同志が増えることを祈ります